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2007 05,09 00:12 |
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がんの告知、、、一番辛いのは、伝えなければならない人かもしれません。どちらにせよ、きっとこれは当事者になってみないとわからないことだろうと思います。評論的に議論するのはいやですね。
↓ (読売オンラインより引用) 考えたい「患者中心」の意味 本田 麻由美記者 「患者中心の医療」というと美しく聞こえるが、その本来の意味を、患者も医療者もわかっているんだろうか、という疑問を感じる――。 「がん対策推進基本計画づくりの議論は、患者のために」(4月20日付本欄)に対して、このような趣旨のお便りを幾つかいただいた。 武蔵野大看護学部教授の種村健二朗さん(66)は、「一人一人の患者の意思を尊重した医療が『患者中心の医療』だと思う」とし、「その実現には患者本人への病状、予後も含めた告知が不可欠なのに、そうした議論がない」と指摘する。 例えば、「延命を期待して積極的抗がん剤治療を続けたい」のか、「痛み軽減の治療だけでいい」のかを、患者自らが決めるためには、本人が自分の病状を正確に認識できるように、十分な説明が行われていることが必要だ。しかし、病院では現在も、「つらいことを知らせるのはかわいそう」「だから患者に代わって良い治療法を決めてあげる」といった“優しさ”から、家族と医師が判断していることが少なくないという。 こうした状況に対し、種村さんは、がん専門病院の治療医や緩和ケア病棟の担当医を35年間務めてきた経験から、「本人が事実を知って苦しむことは、その苦しみからの解放への過程の始まり。必要なのは、その過程に沿った真摯(しんし)なケアであり、人間を見くびった“優しさ”ではない」と強調。「患者を蚊帳の外にして家族と医師が話し合う現状のまま、『患者中心主義』が推し進められようとしているのは不気味だ」と言う。 確かに、がん告知が当たり前になりつつある一方で、再発がん等の場合、病気の進行度合いまでは詳しく知らされないことが多い。「患者中心の医療」を実現するには、患者側にも病状や予後の告知を受けて生き方を選択する覚悟が必要なのかもしれない。ただ、私にその覚悟があるかどうかは分からない。患者の生きる意欲を奪うような告知では意味がないとも思う。「悪い知らせを伝える技術」を、医師が学ぶ仕組みも必要だ。 いただいたお便りの中には、このほか、「『患者中心』を、『医師が患者の言いなりになること』と勘違いしている人が多い」「『患者参加型医療』は、治療内容を形式的に患者に確認することではない」などの意見があった。乳がん闘病を通じて、私なりに考えた「患者中心」の意味について、次回も続けて考えてみたい。 PR |
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